外を歩くだけで苦しかったあの日々 ー有村藍里さんの整形告白に思うことー

なんで私がこんなにも既存メディアのファンタジーを目の敵にするのか。そして「ありのまま」にこだわるのか。

「何か恨みでもあるのか、素直に楽しめばいいのに。」

そう思う方もいるかもしれません。これには私自身の、つい最近までの辛い経験があるのです。

有村藍里さんの整形と、僕が歯列矯正するまでの話


有村藍里さん(本人のブログより引用)

その前にまず、つい最近の3月3日に美容整形を告白した有村藍里さんのことを思い出してください。
美容整形。 | 有村藍里オフィシャルブログ Powered by Ameba

彼女は昔から口元にコンプレックスがあったと言います。口元の突出感があって、人前で笑うのが怖かったと。そして、メイクをするたびに悩んでいたそうです。自分を変えたい、もっと可愛くなりたい、と。

そして彼女は手術を受けることを決断しました。そして、それをテレビや自身のブログ、Twitterで告白し、大きな話題になりました。

彼女をそこまで突き動かした要因に、人気女優として活躍する妹の有村架純さんとの比較、そして自身もモデルや女優、タレントという「メディアを通して人に見られる仕事」をするがゆえの、周囲からの容姿に関するたくさんの言葉やプレッシャーがあったことは、どう考えても否定できないでしょう。

ところで実は私も、昔から出っ歯で口元が突出していることにコンプレックスがありました。

実際、小学校低学年のころには平均台から落ちた時に前歯を強打し、何本もの歯がグラグラの血まみれになって、それらの歯を針金で固定してもらい、切れた唇を縫ってもらった苦い思い出があります。

当分の間は前歯で物が噛めず、柔らかい食べ物を食べて過ごしました。

それ以来、「あなたは出っ歯だからケガに気をつけろ。」ということをたびたび親に言い聞かせられたり、「ビーバーみたい」と友達から言われたことを気にするようになりました。言った側には、特にそれを蔑むようなニュアンスはなかったように思います。でも、当時の私にはそれが「自分はみんなと違うからおかしい」という証拠のように感じられたのです。

そして10年の時が過ぎ、高校3年のとき、運動会の棒倒しの練習中に、他の人の後頭部が衝突して、ふたたび前歯を強打するケガを起こしました。

口と鼻からたくさん出血し、すぐに担架で運ばれていって、処置を受けました。縫われてタラコのようにぷっくら腫れあがった唇、針金で固定した血だらけのグラグラ前歯。

当時思春期だったこともあり、恥ずかしくてたまりませんでした。以前のケガの恐怖や嫌な思い出もフラッシュバックしてきました。

それがきっかけとなりました。最初は学校での授業中や電車内で、言いようのない不安に襲われるようになりました。

僕はここにいてはいけない。みんなとは違う見た目をしている。みんなから変な存在だと思われている。イヤな奴だと不快感を持たれている。」そんな観念で頭がいっぱいになり、息苦しさや動悸、何かに襲われそうな恐怖感がして、お腹がムカムカして、体がそわそわして、首や手がプルプルして、居ても立ってもいられないようになりました。

段々不安局面は増えていき、しまいに私は外を出歩くだけで苦しくなりました。自分なんかが他の人と同じように、のうのうと外を歩く資格がないように思えたのです。

大学に入学してからも症状は治まらず、授業や外出が苦痛で、一時は真夜中に近所のコンビニに買い出しに行くのが精いっぱいの、引きこもりに近い状態になりました。

私がわざわざ都内の進学校から京都大学に入学したのも、途中で転学部しているのも、こうした事情が関係しています。(もちろん他のポジティブな動機もたくさんありましたし、今でも全く後悔していません。むしろこれらの選択によってこそ、貴重なものをたくさん得られたと思っています。)


引きこもり時代の自室

そして、周囲にいる人や、ネットやテレビ、雑誌などメディアに載っている芸能人の顔を見ては、自分と比べて、「僕の口元は”普通の人”より出っ張っている。変だ。醜い。」と強く思うようになりました。

実際、「横顔にはEラインという美の基準が存在し、鼻先と顎の先を結んだラインよりも口元がはみ出るのは美しくない」ということが美容系メディアで喧伝されていたのを見て、「こんな客観的な基準もあるんだし」と確信を強めていきました。

そしてその「異常」を治療するための整形手術に興味を持ち、上顎のセットバックやオトガイ形成術を施した方の写真に憧れたりするようになりました。ちょうど有村藍里さんのように。


有村さんの症例写真(有村藍里さんの輪郭矯正 | Regno Clinic SBC(レグノクリニック)より引用)

結局、私は3年間の歯列矯正を受けて、前歯の突出は改善されました。同時に大学病院の精神科を受診して、カウンセリングや認知行動療法を受けながら、抗うつ薬や抗不安薬も飲んで、醜形恐怖や社交不安症状と呼ばれるこれらの症状は5年がかりで改善していきました。


私の症例写真(イースマイル国際矯正歯科提供)

今でも少し不安はありますが、日常生活に支障がないレベル、ちょっと恥ずかしいかな、という程度です。一時期からは考えられないくらい、症状は落ち着きました。

今の日本の風潮、メディアの容姿の扱い方がおかしいんじゃないの?

はい、めでたしめでたし。で終わりにしていいのでしょうか?

有村さんの話にしても、私のことにしても、「最新医療はすごい!」とか「彼女はよく努力した!」とか、「整形はズルい。罪だ。理解できない。不気味だ」とか、そういったレベルの話なのでしょうか。

これだけ他人と容姿を比べること、そして品定めされることを強いられるような今の世の中自体が、とても生き辛いものなのではないでしょうか?

最近、身の回りに、これを読んでいるあなたも含めて、色々なコンプレックスに悩んでいる人、多すぎないですか?

どうしてこんなことになるのか。私はメディアが原因にほかならないと考えています。

一つには、商業がマスメディアを通して、自らの商品を売り込むために、色々なコンプレックスを創り出しては、人々の不安を煽るようなマーケディング戦略をとっていること。

例えば、電車の広告を見れば顕著ですよね。脱毛、育毛、シワ・シミ、痩身、口臭…挙げればきりがないです。


電車広告 | 交通広告・屋外広告の情報サイト 交通広告ナビより引用)

もう一つには、SNSの発達によって、誰もがメディアを通した発信者となる「一億総発信者」時代になったこと。

昔は不特定多数の人に姿をさらし、評価を受けるのは、有村さんのようなモデルや芸能人に限られていました。それが今では、誰もがSNSを通して自らを全世界に向けて発信し、他の人から、一つでも多くの「いいね!」を集めることに躍起になっているのです。


Wikipediaより引用)

つまり、有村さんが受けたのと同じような、自分の外見に対する圧力を、芸能人に限らずあなたを含めた誰もが受ける時代になっているというわけです。

私たちは、「あなた固有の情報をそぎ落とせ」「”多くの人が好きと感じる”姿になれ」といったプレッシャーを日々受けているのです。詳しくは以下の記事に書いています。
アンチ情報の欠落、アンチ均質化 – 僕がItonamiを撮る理由 第5話 | Itonami(イトナミ)

もっと恐ろしいことに、そうしたメディアによる圧力は、画像加工やメイクなどの非破壊的な力にとどまらず、実際に人々の肉を裂き、骨を削って、確実に私たちの精神と体を蝕んで、時に命を奪っているのです。

例えば整形手術には、有村さんのような華々しい「成功例」の陰に、本人にとてつもない苦痛をもたらす取り返しのつかない結果に終わる例がたくさんあります。「扇風機おばさん」ことハン・ヘギョンさんは昨年12月にとうとう亡くなったそうです。
韓国で有名な扇風機おばさんが15日に死亡 享年57歳 | ニコニコニュース


上記記事より引用)

ヘギョンさんの他にも、無茶なダイエットや拒食症、薬物への依存など、悲惨な経験をする方は数えきれません。悩んだ末に自殺する方もいます。

そして、こうした現代の構造的な圧力を助長するように、今の日本のメディアには特に、人を画一的な美の価値基準において外から品定めしたり、自虐したりするような風潮がはびこっています。

例えば、ヘギョンさんのストーリーを簡単にご紹介します。彼女は若き頃、歌手になることを夢見て来日し、下積みとして大阪の繁華街でホステスとして働くようになりました。しかし、歌手としては思うように売れず、その原因は自身の顔のエラではないかと、次第にコンプレックスを感じるようになったそうです。そして、彼女の悩みに付け込んだ闇医者のシリコン注射に依存するようになっていきました。


大阪にいた頃のヘギョンさん

その過程で、周囲の日本人や日本社会・文化がどのように彼女に関与したのかは想像するしかありません。しかし日本の漫画等で、韓国人の顔の特徴として頬骨の角張りを強調した表現がしばしば見られることなど、私たちの彼らへの接し方を思い出すと、脳裏に浮かんでくる景色に鳥肌が立ちます。彼女の悲劇は日本で生まれたのです

もう一つ、ハリセンボンの近藤春奈さんアリアナ・グランデさんの共演エピソードを挙げておきます。
女芸人のブスネタが通用するのは国内限定。アリアナ・グランデ「近藤春菜はすごくかわいい」 – wezzy|ウェジー


ハリセンボン プロフィール|吉本興業株式会社より引用)

ご存知の通り、近藤春奈さんは、自らの容姿を他の色々な人物に例えて笑いを取るネタで人気です。彼女がアリアナ・グランデさんと共演した際も、アメリカ映画に登場するモンスター「シュレック」に自身を例えてウケを狙いました。

しかしアリアナさんは笑わなかった。それどころか「近藤さんをシュレックだと思わない。彼女はとてもかわいい」とフォローしたそうです。日本のテレビ番組のように、他人の容姿を笑いのネタにすることは、アメリカでは許されないのだそうです。

「ただしイケメンに限る」

「ちょうどいいブス」

私はこういった言葉が大嫌いです。誰に「イケメン」や「ブス」を決める権利があるのでしょうか。なぜ「イケメン」か「ブス」かで行動を規定されなければいけないのでしょうか。商売やSNSの発展は止められないにしても、せめてみんなの使う言葉や考え方だけでも変えませんか?

そして特にAVは、鑑賞者にとって「ヌけるか、ヌけないか」「ヤれるか、ヤれないか」といった、究極ともいえる身勝手な判断基準によって、人が品定めされたり、行動が強制されています。

そのため、AV女優さんは男性たちの性的嗜好に合わせて、選抜やランキング付けされたり、パッケージの画像修正や、豊胸・整形手術さえ行うことが多いわけです。

そんなメディアは嫌だ。

誰もが自分を好きになれるような映像メディアを作る!

先日、前述の記事(同意なきファーストキス -こうして僕は性加害者になった- | Itonami(イトナミ))を公開した際、

「こいつは自分が好きなのが、文章から透けて見えて気持ち悪い」

「”気付いた私はエラいよ”アピールをしたいんだろ?」

「結局、今も自分のことばかり考えている。何も変わっていない」

といった旨のコメントを、記事内、Twitterはてブ上でたくさんいただきました。

全くもってその通りです。私は昔も今でも自分のことが大好きで、何より大切にしてあげたいです。そして、まだまだ好き具合が足りないと思っていますし、今よりもっともっと好きになりたい。

それの何が悪いのでしょうか。

いいじゃないですか。自分が好きって。自分を大切にしたいって。私たちはもっと自分自身を好きになっていいはずです。

今の日本って、「自分を好きになることはイタい、おかしい」、そんな風潮になっていませんか?そして、「自虐して、哀れな自分をネタにして他人に笑ってもらうのが美徳」だという具合に。

その裏には先述のように、

  1. 画一的な判断基準で多数の他人が自分を品定めする
  2. 自分は”みんなが好ましいと思う姿”(例:「イケメン」)でなければならない
  3. そうでない人間は貶められて笑い者(例:「ちょうどいいブス」)にならなければならない

という、現代の構造的な圧力および、それを助長する日本のメディアの傾向があるのです。

だから、「自分を勝手に好きになってはならない、なぜならあなたを評価し認めるのは周囲だから」とか「”みんなが好ましいと思う姿”でないのに自分を好きになっているのはイタい奴だ」ということになるのです。

こんな文化、もうやめませんか?

そのために、私は新しいメディアをつくります。みんなからいいって言われないような状態でも、誰もが素の自分を好きになっていい、そんな世の中にするために。

それは、あらゆる人のすべての個性をこぼさずに拾うようなメディア。そしてそれを全肯定するメディア。


[Crewe]さんのFlickrより引用)

だから、先述したような「演技」や「選別」をしないのはもちろんのこと、既存のメディアでよくあるような、作品ごとのカテゴリ・ジャンル分けもしません。ランキング・レーティングもしないし、勝手に私や鑑賞者が講評を書くこともしません作品はすべてIDのみで管理され、タイトルさえつけません。このことについて、詳しくは以下の記事をお読みください。
「ファストデザイン」の公害。なんで儲かるだけのデザインではだめなのか。 | Itonami(イトナミ)

そう、Itonamiにはもう一つのミッションとして、

  1. 画一的な美の価値観と品定めにノー、自虐文化にオサラバ。誰もが自分を好きになれるメディアになる。
  2. そのために、人のありのままの個性をこぼさず拾い、全肯定する「アートの容れ物」となる。

これらがあるのです。

なお、ここでいうアートとは、「個々人が持つ、かけがえのない人間的なもの全体」をさす広義の言葉です。「アートの容れ物」という思想についても、同じく上記の記事にて解説しております。

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